神戸地方裁判所 平成10年(ワ)1828号 判決 1999年6月23日
主文
一 被告は、原告に対し、金二〇万二三八〇円及びこれに対する平成九年五月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを九分し、その一を被告の負担とし、その余は原告の負担とする。
四 この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
理由
【事実及び理由】
第一 請求
被告は原告に対し、金一八一万〇三六〇円及びこれに対する平成九年五月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、原告が、その個人情報を被告によってニフティ株式会社(以下「ニフティ」という。)の運営するパソコン通信ネットワーク(以下「ネット」という。)上の掲示板システムに掲載されて自己のプライバシーを侵害され、その結果、原告は数名の者から無言電話等の嫌がらせの電話を受けて、開業する眼科の診療を妨害され、また、信用を毀損され、被害を被ったと主張して、被告に対し不法行為に基づく損害賠償を請求した事案である。
一 前提となる事実(証拠を掲記しない事実は、当事者間に争いがない。)
1 原告は、眼科医として個人で診療所を開業している者である。
2 原告と被告は、いずれも、平成九年五月頃、ニフティの会員で、ニフティの運営するBBS(ブリティンボードシステム)と呼ばれる掲示板システム(以下「掲示板」という。)の利用者として登録され、日常的に掲示板を利用してきた。掲示板は、ニフティの会員であれば、誰でも、全国各地からアクセスして見ることができるものである。
3 被告は、平成九年五月一七日未明、別紙記載の内容の掲示(以下「本件掲示」という。)を掲示板に掲載して一般に公開した(以下、この行為を「本件掲示行為」という。)。
4 本件掲示には、原告の氏名、職業、原告が開設する診療所の住所及び電話番号(以下「本件個人情報」という。)が記載されているが、それらは、医師会名簿には掲載されているものの、ネットの参加者に対しては公開されていない情報であった。
二 争点
1 本件掲示行為の違法性の有無
2 本件掲示行為による原告の損害の有無・程度
3 過失相殺
三 原告の主張
1 争点1(本件掲示行為の違法性の有無)について
(一) 個人情報の公開の違法性
(1) 被告が本件掲示行為によって公開した本件個人情報は、医師会会員以外には公開されない個人情報であり、掲示板などの不特定多数人の参加するネットワーク上での公開は、個人情報の目的外使用にあたり、違法性を有する。
掲示板に参加するにはニフティの会員となる必要があるが、本件掲示行為時点でのニフティの会員数は二〇〇万人ともいわれており、また、会員としての入会は自由で、資格は何も必要とされていないから、本件掲示行為は、公衆に対する個人情報の公開行為であり、その表現の如何を問わず違法な行為であることは明らかである。
(2) そもそも「個人情報」とは、個人に関する各種の情報をいい、正確には「個人に関する情報であって当該情報に含まれる氏名、生年月日、その他の記述、個人別に付された番号、記号その他の符号、画像又は音声により当該個人を識別できるもの」をいう。
したがって、本件個人情報は、明らかに法的に保護されるべき「個人情報」に該当する。
個人情報の保護に関しては、秘匿性や機密性といったものは要求されない。個人情報の中で氏名など(ハンドルネームを含む。)は、個人識別の基本であるところ、これらも無条件に個人情報そのものとされている。
したがって、地域別の職業別電話帳などにこのような情報が掲載されているからといって、そのことから個人情報としての意味がなくなるいわれはない。
電話帳への広告などは一定の地域についての、狭い地域性を有するものであって、かつ、一定の目的に利用されることを目的として開示されたものである。これに対し、パソコン通信の世界は日本全国に対して開かれた場所であり、その公開の程度、範囲、目的は全く異なる。ここでは、まさに情報の公開が無差別、無限定に行われるのであり、そのような行為は現に慎むべきものである。
(3) 個人情報の公開が違法となる理由は、個人情報は、一旦公開されるともはや取消も変更も利かないので、その公開行為は、いわゆるモアスピーチ(議論の場において、ある意見が、より多くの議論によって克服淘汰されること)が妥当する「論争」の範囲を超えてしまい、これを第三者が勝手に公開すれば、各種プライバシー侵害が発生し、ストーカーが生まれる危険すら生じるからである。
現に、多数の者が、本件掲示行為直後から原告の診療所に対し、悪戯電話を連続して架けてきており、その弊害は明らかである。
(4) ネット上での個人の氏名以外の個人情報の公開が、プライバシーを侵害する違法な行為であることは、ニフティの会員の間で周知の事実であり、ニフティでは、個人情報保護の観点から、ネット上での個人情報保護に関して慎重な対応をとっている。
本件においても、本件掲示は、その直後、ニフティによって、被告の承諾を取ることなく、直ちに削除された。
こうしたニフティによる掲示の削除は、その掲示の違法性が極めて高いときに行われる非常手段であり、被告の本件掲示行為の違法性がネットワーク社会の常識として認識されていることを示している。
また、被告は、本件掲示行為後、ID(パソコン通信の際の個人認識番号)の使用禁止処分を受け、長期間にわたる制裁が加えられているのであり、これも本件掲示行為の違法性を裏付けるものである。
(二) 被告の故意
ネット上での個人の氏名以外の個人情報の公開がプライバシーを侵害する違法な行為であり、公開された個人に損害を与えることはニフティの会員の間で周知の事実であった。また、被告の本件掲示行為当時、掲示板においては二つのグループの対立、論争があり、それを巡って多くの会員が発言を行い、相互に批判するなどしていた状況があり、原告は右対立グループの一方の支援者であったところ、こうした中で、右論争に参加していた原告の個人情報を公開すれば、対立グループから原告に対する集中的嫌がらせ行為が行われたりすることのあることは予想されるところであり、被告は、右嫌がらせ行為を右対立グループの者に扇動する目的で、意図的に本件掲示行為をしたものである。したがって、被告の本件掲示行為は、故意による不法行為を構成する。
2 争点2(本件掲示行為による原告の損害の有無・程度)について
(一) 本件掲示行為直後の平成九年五月一七日午前九時過ぎから同日午後三時ころまでの間、原告の診療所の業務用電話に、数人の者が、かわるがわる無言電話や悪戯電話を架けてきた。さらに、同月一九日からは、右電話に無言電話が続き、同日正午ころには、右電話が鳴り止まない状態となった。
そこで、原告は、その騒音と精神的圧迫により体調を崩し、同月二一日は午後からの診療を中止せざるを得なかった。
また、右のほか、原告宛に、「アダルトショップ ハイソックス」なる通信販売会社から大量の商品が送りつけられるなどの、いわゆる「成りすまし」による商品注文が多数行われた(原告はその全ての受取を拒否した。)
原告は、NTTの悪戯電話撃退サービスを受ける手続をし、同月一九日午後四時ころからそのサービスが開始されてから、悪戯電話は架からなくなった。
掲示板に個人情報が公開されれば、その者に対して右のような嫌がらせ行為が行われることはあり得ることであるから、右のような嫌がらせ行為によって原告に生じた損害も、被告の本件掲示行為と相当因果関係がある。
(二) 原告が本件掲示行為によって被った損害は、以下のとおりである。
(1) 営業損害 三〇万七九八〇円
<1> 原告は、二日間にわたる悪戯電話のために原告の診療所の業務用電話の利用ができず、そのため、電話による診療依頼などを受付けることができなかったことによる損害 一一万二〇〇〇円
ア 平成九年五月一七日(土曜日)の分が、五、六月の全土曜日の平均新患受付二三名に対し、一一人減少したことによる損害 七万七〇〇〇円
イ 同月一九日(月曜日)の分が、五、六月の全月曜日平均新患受付二七人に対し、五人減少したことによる損害 三万五〇〇〇円
<2> 悪戯電話等による診療妨害により原告が体調を崩し、診療を中止せざるを得なくなったことによる損害 一九万五九八〇円
平成九年五月二一日(水曜日)の分が、五、六月の全水曜日平均治療点数四万八五七一点に対して、一万九五九八点(金額一九万五九八〇円)の減少した。
(2) 治療費 二三八〇円
悪戯電話等により生じた精神症状等に対する治療費
(3) 信用毀損による損害 五〇万円
(4) 慰謝料 一〇〇万円
(5) 以上の損害額の合計 一八一万〇三六〇円
3 争点4(過失相殺)について
原告には、本件掲示行為により損害を被ったことについて、しん酌されるべき過失はない。
四 被告の主張
1 争点1(本件掲示行為の違法性の有無)について
(一) 個人情報の公開について
(1) そもそも、原告は開業医であるから、自らが医者であることや、どの医師会に属しているかといったことは、原告の診療所において公開されているのが通常であるし、また、医師会ではそのような情報は電話でも簡単に応答してくれるのであって、これらは秘匿性のない情報である。
また、本件個人情報は、いずれも原告自ら電話帳に拡大広告して公開掲示しているものであって、原告の自宅の電話番号や生年月日、その他の原告が知られたくない私的な情報を含むものではない。
したがって、本件掲示行為は、原告のプライバシーを侵害するものとしての違法性はない。
(2) 原告が前提とする個人情報の定義は、通産省の「民間部門における電子計算機処理に係る個人情報の保護についての指針(改正案)」に基づくものであるが、この指針は、ホスト電算機を設置した者に対する個人情報の取扱指針案にすぎず、被告のような利用者の義務を定めたものではない。
また、原告が広告を掲載した分を含む、全国の電話帳の電話番号は、数年前から一枚のCD―ROMに全て収められ、それがあれば、どのような検索も可能になっているから、本件個人情報中の電話番号が、地域電話帳にだけ記載されているから秘匿性があるがごとき主張は、原告の詭弁に過ぎない。
さらに、原告はIDさえ秘匿性のある個人情報であると主張するが、それはニフティのようなホスト側(中核基地局)の管理指針であって、利用者は、ID、氏名及び住所地を公開しなければ、基地局であるニフティでは、発言ないし掲示板への書き込みもできないのであるから、原告や被告のような利用者からみれば、個人のIDが秘匿性のある個人情報であるということはできない。
(二) 被告のID剥奪等について
(1) 被告は、本件掲示行為後も、ニフティのIDを剥奪されていない。もし、被告が原告主張のように故意に原告の個人情報を暴露したのであれば、被告のIDは即座に剥奪されているはずであるが、そのような事実は存在しない。
なお、被告は、ニフティよりID使用の一時停止処分を受けたが、その理由は、原告本人を含む数名から、本件掲示行為についてニフティに対する抗議があったためであり、ニフティはホスト側として個人情報の取扱には神経質にならざるをえないため、ニフティの担当者が、被告に対し「貴方は電子メールを転載されただけですが、何分多くの抗議センターメールが送信されたため、ご辛抱下されたい。」と説明の上、やむなく被告のIDの使用を一時停止したに過ぎない。それゆえ、本来、不法行為を行った者に対するID使用の一時停止処分の期間は一年(結局無期限)が通例であるところ、被告に対する右処分は、わずか四か月であった。また、不法行為に該当する行為をした者については、その全てのIDに対して処分が行われるのが通例であるところ、被告は右処分を受けたID以外にも複数のIDを所持していたが、他のIDについては何らの処分も受けていない。
(2) そもそも、ニフティは会員が掲示する個人情報らしき掲示については、それが一般法規に反するものかどうかの判断をする義務はないとして、一律にID剥奪を行うが、ニフティにおける規則と一般法規とは当然異なるものであり、原告のこの点に関する主張は失当である。
(三) 被告の本件掲示行為の経緯について
被告は、平成九年一月三一日、本件掲示内容と同じ内容の意味不明な電子メールをニフティ経由で受信した(以下、電子メールを「メール」という。)。
このようなメールが来た理由が気になっていた被告は、平成九年五月一七日、掲示板に、尋ね人の趣旨で、本件掲示をしたものである。
また、被告が、掲示板上に掲示された原告の記事を読んだことはほとんどなく、被告は原告に全く関心がなかったので、本件訴訟が提起されるまで、原告が当時掲示板上で行われていた論争において対立するグループの一員であったことなど当然知らなかった。さらに、被告と原告とが掲示板上で罵倒しあったことなどは一切なかった。
(四) 以上の点からして、本件掲示行為が不法行為を構成することはありえない。また、被告に原告に対するプライバシー侵害の故意もなかった。
2 争点2(本件掲示行為による原告の損害の有無・程度)について
(一) 被告の本件掲示行為と、原告主張の損害との間に相当因果関係が認められないことは、右1(一)(二)の事情から明らかである。
(二) さらに、パソコン通信において使用されるハンドル名については、例えば、漢字の「一郎」と片仮名の「イチロ」、平仮名の「いちろ」とは別人であると認識されるところ、被告は、原告が「雷鳥」であると漢字で掲示したのに対し、原告が実際に使用していたハンドル名は「らいちょう」と平仮名であり、この「雷鳥」と「らいちょう」とは同一人物であるとは認識されないから、被告が本件掲示行為によって原告が「雷鳥」であると掲示しても、それと原告が実際に使用していた「らいちょう」とは結びつかない。
したがって、本件掲示行為により、原告主張のように対立するグループからの悪戯電話を原告に集中させることなどできない。
(三) また、原告は、本件掲示行為時以前から、原告が他人を誹謗罵倒する内容の記事を掲示板に掲載していたことによって、不特定多数の者から悪戯電話を架けられており、本件掲示行為と原告に架けられた本件掲示行為直後の悪戯電話との間には相当因果関係がない。
(四) 本件個人情報は、その内容自体、原告が医者であることや原告の診療所の場所、電話番号などを明らかにするものにすぎないし、それらが既に公開済みであることからしても、本件掲示行為は、原告の信用を何ら毀損しない。
また、原告が体調を崩し内科医の診察を受けたのは、風邪のせいに過ぎない。
3 争点3(過失相殺)について
被告が本件掲示行為以後に知ったことであるが、原告はハンドルネームを掲示板上では「らいちょう」と称しており、最近では「PUITY」とも称しているようであるが、原告が掲示板に掲示した記事のほとんどが他人の掲示に関する中傷罵倒を主たる内容とするものであった。
また、原告は、ニフティの個別会員に対しては、「甲野花子」(原告の妹)なる送信者名で、中傷罵倒を内容とした電子メールを本件掲示行為時以前から送信していた。
したがって、仮に被告の本件掲示行為が原告のプライバシーを侵害するものとして違法であるとしても、原告には原告主張の損害の発生及び拡大について過失があったというべきである。
第三 争点に対する判断
一 争点1(本件掲示行為の違法性の有無)について
1 《証拠略》によれば、次の事実が認められる。
(一) 原告は、ニフティの会員として、自己の氏名や「らいちょう」や「雷鳥」のハンドルネームで、掲示板等を日常的に利用していた。その際、原告は、妹のIDを使用したこともあった。
他方、被告も、ニフティの会員として、複数のIDを使用して日常的に掲示板を利用していた。
(二) ネット上では、一般に個人の氏名だけが公開され、その氏名やハンドルネームで発言を行い、それ以上の個人情報は公開されない扱いであった。
(三) 原告は、平成八年末ころから、自己の意見や雑感等を掲示板に掲載したり、他のニフティ会員にメールで送るなどしていたが、その中で、丙川松子(以下「丙川」という。)に対して、「気違い松子」、「馬鹿女」などという侮辱的な表現を用いるなどして、中傷、罵倒するような内容のメールを送ったりし、他の会員の中には、そのような原告の態度に反発する向きもあった。
(四) 被告は、本件掲示行為前から、丙川とメールのやり取りをし、丙川から、原告が作成した右のようなメールに対する対処方法を相談されていた。また、被告は、本件掲示行為前、原告から直接、原告の氏名と「らいちょう」というハンドル名とが併記された通信文を受け取ったことがあった。そのような状況の下で、被告は、本件掲示をしたものである。
(五) 本件掲示当時、本件掲示に記載された原告の診療所の住所及び電話番号は、NTT作成の地域別の職業別電話帳に広告掲載されていた。しかし、原告は、右診療所の住所や電話番号をネット上で公開したことは一度もなく、その公開を被告を含む他の者に承諾したこともなかった。
(六) 本件掲示は、その掲示後間もなくニフティの知るところとなり、同社によって掲示板から削除された。
(七) 本件掲示がされた当日の平成九年五月一七日(土曜日)、原告の診療所(原告の自宅とは別の場所)に、正体不明の第三者から、診療時間中である午前八時三〇分ころから午後三時二六分ころまでの間に、合計三四回の悪戯電話と思われる不審な電話(無言電話や二ないし四回の呼出音のみで切れたものを含む。)が架かってきた。
その中には、若い男の声で「甲野さんですか。ガハハハハ」というもの(午後一時二五分)、年寄りの声で「ナガタです。」というもの(午後一時三〇分)、若い男の声で「オカモトヤスアキです。居留守を使わないで下さい。」(午後二時〇九分)、大阪弁のやくざっぼい男の声で「今日の二時ころパソ通の友人がお前のところの甲野ともめ事起こしたみたいだな。来週月曜日に乗り込んで行くから、何時からやっとるか教えろ」というものが含まれていた。
また、翌々日の同月一九日(月曜日)には、同様に、診療時間中である午前九時四〇分ころから午後三時五二分ころまでの間に合計一〇回の悪戯電話と思われる不審な電話が架かってきた。
原告は、同日、NTTの悪戯電話撃退サービスを受ける手続をしたところ、右サービスが開始された同日午後四時ころからは、右のような電話は架かってこなくなった。
さらに、その後数日内に、原告の氏名を騙って通信販売の商品が注文され、それが原告の診療所に配達されてきたことが三回あった。原告は、その受領を拒否したが、その対応を余儀なくされた。
2 「他人に知られたくない個人の私的事柄をみだりに第三者に公表されない」という個人の利益は、人格権に包摂されるプライバシーの権利として、法的に保護されるべきである。そして、右保護されるべき利益の性質上、その保護の要件として、公表された事柄が、<1> 私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られるおそれのある事柄であること、<2> 一般人の感受性を基準にして、当該私人の立場に立った場合、公開を欲しないであろうと認められる事柄であること、<3> 一般人に未だ知られていない事柄であることが必要とされるものと解される。
3 そこで、右の観点から、本件掲示行為が原告のプライバシーを侵害するものかどうかにつき検討する。
(一) 原告は、自宅住所とは別の、本件掲示に記載された場所に眼科の診療所を開設している医師であり、その氏名、職業、診療所の住所及び電話番号は、NTT作成の地域別の職業別電話帳に広告掲載されている。したがって、右原告の氏名、職業、診療所の住所・電話番号は、原告の業務の内容からして当然に対外的に周知されることが予定されているものといえるから、必ずしも純粋な私生活上の事柄であるとはいい難い面がある。
しかし、人の正当な業務の目的のために、その目的に係るものであることが明白な媒体ないし方法によって当該個人の情報が公開されている場合には、その個人情報は、右業務と関係づけて限定的に利用され、右業務とは関係のない目的のために利用される危険性は少ないものと考えられ、右公開者においては、そのように期待して、右公開に係る個人情報の伝搬を右目的に関わる範囲に制限しているものといえる。そして、右のように、個人の情報を一定の目的のために公開した者において、それが右目的外に悪用されないために、右個人情報を右公開目的と関係のない範囲まで知られたくないと欲することは決して不合理なことではなく、それもやはり保護されるべき利益であるというべきである。そして、このように自己に関する情報をコントロールすることは、プライバシーの権利の基本的属性として、これに含まれるものと解される。
原告の氏名、職業、診療所の住所・電話番号の右電話帳への掲載は、右電話帳作成の目的及びその掲載内容に照らし、原告においてその掲載に係る個人情報の伝搬の範囲を診療所営業に関わる範囲に制限しているものであるといえる。
したがって、その限りで、右電話帳に掲載された原告の個人情報は、なお私生活上の事柄としての側面も有するものと認められる。
(二) また、ネット上の掲示板は、ニフティの会員でさえあれば誰でも見ることができるというもので、一定の情報を不特定多数の者に簡易迅速に伝達できるという性格を有し、そのようなネット上の掲示板の特殊な性格を考えれば、本件のような個人情報のネット上の掲示板における公開は、それを特に眼科医による診察を希望する目的など全くない多数の者にまで簡単に目にすることのできるようにするものであって、右電話帳に掲載される場合とは比較にならないほど大きな、悪戯電話や嫌がらせ被害発生の危険性をもたらすおそれがあるものと認められる。
そうであるとすれば、原告がネット上で使用していた原告の氏名についてはともかく、原告の職業、住所・電話番号については、それが右電話帳に掲載されていることを考慮しても、それをネット上の掲示板において公開されることまでは、一般的にも欲したりしないであろうと考えられるし、また、右電話帳の記載の検索は、通常、眼科医の診療を希望する者がその診療所を探すという目的で利用するという特定の場合にすぎないと解されるから、右職業、診療所の住所・電話番号は、一般人には未だ知られていない事柄であると解するのが相当である(これらのことは、地域別の職業別電話帳のすべてがCD-ROMに収められ、全国的規模の検索が可能である場合であっても同様である。)。
そして、原告は、本件掲示がなされる以前に、自己の氏名はネット上において明らかにしていたが、自己の職業、診療所の住所・電話番号はネット上で公開したことは一切なかったのであり、これからすれば、原告は一貫して自己の職業、診療所の住所・電話番号はネット上公開しない意思を有していたものと推認される。
したがって、右原告の職業、診療所の住所・電話番号は、一般人の感受性を基準にして、原告の立場に立った場合、公開を欲しない事柄であり、かつ、一般人に未だ知られていない事柄に該当するというべきである。
(三) 以上から、被告の本件掲示は、原告のプライバシーをその意思に反して公表するもので、原告のプライバシーを侵害するものといえる。
4 そして、被告は、本件掲示行為前に、原告からメール等により中傷、罵倒されたりした丙川から相談を受けるなどしていた状況の下で、他の誰も掲示したことのない前記原告の個人情報を掲示板上に掲載したものであって、被告の本件掲示行為の時期、背景、その内容等に照らせば、被告の本件掲示行為には何ら正当な理由は認められないだけでなく、被告は、原告に反発を示すニフティ会員が、被告の開示した原告の個人情報を利用して原告に対する攻撃的対応(原告がその後実際に受けたと認められるような嫌がらせ電話等を含む。)に及ぶことも十分ありうることを認識、予見して、本件掲示をしたものと推認される。
したがって、被告の本件掲示行為は、原告のプライバシーを侵害する違法なもので、それは被告の故意に基づくものであり、不法行為を構成するものというべきである。
二 争点2(本件掲示行為による原告の損害の有無・程度)について
1 被告の本件掲示行為後、その当日及びその二日後の二日間、被告の診療所の電話に集中的に無言電話等の不審な電話(以下「悪戯電話」という。)が架かってきたことは前記認定のとおりである。
ところで、《証拠略》によれば、原告は、被告の本件掲示行為前に、ニフティの他の会員に対して原告の診療所に悪戯電話が架かってきたことがある旨のメールを送ったことがあることが認められる。
右事実を考慮すると、被告の本件掲示行為後に原告の診療所に架かってきた悪戯電話は、被告が本件掲示をしたこととは関係のないものであった可能性もないではない。
しかしながら、被告の本件掲示行為後に原告の診療所に架かってきた悪戯電話は、被告の本件掲示行為の当日から多数集中しており、被告の本件掲示行為前にはそのような多数かつ集中的な悪戯電話が原告の診療所に架けられてきた形跡はないことを合わせ考慮すると、被告の本件掲示行為当日及びその翌々日に原告の診療所に架かってきた悪戯電話の少なくとも大部分は、被告の本件掲示行為が誘因となっているものと推認される。また、右事実に照らせぱ、前記認定の原告の氏名を騙っての通信販売の注文行為も、右と同様、被告の本件掲示行為が誘因となっているものと推認される。
2 原告の損害について
(一) 治療費 二三八〇円
《証拠略》によれば、原告は、自己の個人情報が掲示板に掲示されたこと及びその後診療所に悪戯電話が多数架かってきたことなどから、ストレス性胃炎、不眠症、筋収縮性頭痛等の症状が出現し、被告の本件掲示行為の三日後の平成九年五月二〇日内科医の診察、治療を受け、その費用として少なくとも二三八〇円を要したことが認められる。
(二) 慰謝料 二〇万円
被告の不法行為の内容、それによる原告の悪戯電話等による被害の状態ないし内容等前記認定の諸般の事情をしん酌すれば、被告の不法行為により原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料は二〇万円をもって相当と認める。
(三) 信用毀損による損害
原告は、信用毀損による損害も受けた旨主張するが、原告の職業、診療所の住所・電話番号が掲示板で公開されたとしても、それだけで原告の経済的信用が毀損されるわけではないし、原告の診療所に二日間にわたって悪戯電話を架けられたことも、それが外部の者に知れるおそれはほとんどないといえるから、そのことによって損害賠償に値するほどに原告の経済的信用が毀損されたということは考え難い。
したがって、被告の不法行為により原告に信用毀損による損害が生じたことは認められない。
(四) 休業損害について
原告は、前記悪戯電話による精神的圧迫のため体調を崩し、被告の本件掲示行為の四日後の平成九年五月二一日(水曜日)の午後の診療を休業した旨主張し、原告はその本人尋問において、右主張に沿う供述をする。
しかしながら、《証拠略》によれば、右五月二一日に原告の診療所で診察等をした患者数は八七名であり、その後の一週間の間の各開業日の患者数がいずれも一〇〇名を超える人数であったのに比べると、右二一日の患者数はやや少ないことが認められる。
しかし、他方で、右証拠によれば、原告が休診したと主張する五月二一日の前日の二〇日の患者数は八四名、前週の水曜日である同月一四日の患者数は九〇名であり、右五月二一日の患者数とほぼ同じであることが認められる。
これらの原告の診療所の患者数に照らせば、原告が右五月二一日の午後休診した旨の原告の供述は極めて疑問といわざるを得ず、右原告の供述を裏付ける資料も何ら提出されていないことも合わせ考慮し、右原告の供述は採用し難い。そして、他に、右原告主張事実を認めるに足りる証拠はない。
(五) 原告は、被告の本件掲示行為後の悪戯電話のために、二日間にわたって原告の診療所の業務用電話が利用できなくなり、そのため電話による診療依頼などを受付けることができなくなり、その分の診療報酬収入を喪失する損害を被った旨主張する。
しかし、仮に右原告主張の期間中に、原告主張のとおり診療所の電話による診療申込みの受付けができないということがあったとしても、その電話による診療申込みは当日診療を受けることの申込みであったとは限らず、その後日に原告の診療所の診察を受けた可能性もあるから(本件掲示がなされた日の翌日の平成九年五月一八日には特に悪戯電話が架けられた形跡はなく、その翌日の一九日午後四時以降は、全く悪戯電話は架かっていない。)、右原告主張のような事実だけから、電話受付けによる患者の診療報酬収入が失われたとまで認めることはできないし、また、その電話受付けができなかったことにより原告が喪失した診療報酬額を確認すべき証拠もない。
したがって、原告の右主張は採用できない。
3 以上によれば、原告が被告の不法行為により受けた損害の合計は、二〇万二三八〇円となる。
三 争点3(過失相殺)について
被告は、原告は被告の本件掲示行為前から他のニフティの会員を中傷罵倒する掲示をしていたものであり、この点は原告の過失として、被告が賠償すべき損害額について考慮すべきである旨主張する。
電子メールの内容は、ネット上の通信の相手の顔が見えないことなどから、過激、無責任になりがちになることは否めず、それ故、これを利用する者には自覚と節度が特に要求されるものと解される。
しかし、原告が他の会員に送ったメールの中には、中傷的、侮辱的な内容のものもあったことが認められ、メールを利用する者としての自覚と節度に欠ける面があったことは否めない。
しかしながら、原告の右態度が、仮に被告の本件掲示行為後の原告の悪戯電話等の被害誘引の一因となったとしても、その原告の態度は被告に対するものではない上、本件の場合においては、被告は、他の会員の間に原告に対して反発を示す者がいるという状況を認識した上で本件掲示行為を行っており、右状況を利用して原告の悪戯電話等の被害誘引の原因を作出したとも評価できるから、このような場合に、被告との関係で原告の右態度を過失として被告の損害賠償責任額を軽減する方向で考慮することは、民法七二二条二項の過失相殺の規定の趣旨に添わないものであり、相当ではないというべきである。
したがって、被告の過失の主張は採用できない。
四 以上の次第で、原告の本訴請求は、不法行為に基づく損害賠償請求として二〇万二三八〇円及びこれに対する不法行為の後である平成九年五月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法六一条、六四条本文を、仮執行宣言について、同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 竹中省吾 裁判官 永田真理 裁判官 鳥飼晃嗣)